~いもねこの物語~
🐈はじめに
「雑貨カフェいもねこ」は、就労支援の場として
2011年にスタートした福祉事業所です。
フリースクールが母体となっており、
スクールの卒業生や生きづらさを感じたみんなが
一緒に働いてくれています。
この“いもねこ”というちょっとお間抜けな名前。
今ではたくさんの皆さんに覚えていただき、
支えていただいている“いもねこ”。
“いもねこ”を語るには、代表である僕から
長い長い物語をお話ししなければなりません。
よろしかったらどうか最後までお付き合いください。
🐈ある少年との出会いと別れ
「俺も入っていい?」
遡ること30年近く前、教員として勤務していた高校の文化祭。
フットサル大会に来ていた小柄の中学生が、
サッカー部の顧問である僕に声をかけてきました。
人懐っこい彼は終わってからも帰ろうとせず、話し続けました。
母親と離れて暮らしていること
父親の帰りが遅く妹との晩御飯は朝渡される500円で済ますこと
勉強についていけず学校は休みがちで友達も少ないこと、など。
友達(?)になった僕は、
その後しばしば高校へ遊びに来た彼を
家まで送ったり家で食事をごちそうしたりしました。
「先生の高校に入りたい。」と言うので
小学校の勉強を教えたこともありました。
その後自然と疎遠になりましたが
彼は母親と同居するようになり、
定時制高校に進学できたそうです。
三年後のある夏の日、朝刊を見て愕然としました。
高校生が市内の中学校のテニスコートで
同級生たちからリンチを受けて重体になったというのです。
それが彼でした。
母親は、急いで駆けつけた僕を集中治療室へ通してくれました。
「会ってやってください。」と。
久しぶりに再会した彼は意識もなく、全く別人。
口と鼻には管がつけられ腫れあがった顔
折れ曲がった腕
陥没した頭
彼は以前、頭の傷を見せ
「小さい時大きな怪我してるから、
今度同じ場所打ったら死んじゃうんだ。」
と言っていました。
僕は耳元で彼の名前を呼びました。
二度目の見舞いのすぐ後、息を引き取りました。
十五歳でした。
「こんな目に遭わねばならない理由が
彼のどこにあったというのだろう?」
「加害少年たちもまた
“寂しい“少年たちだったのではないか?」
「寂しさや劣等感を抱えた彼と
もっと関われなかったのだろうか?」
様々な疑問や後悔の念が胸を締め付けました。
そしてそれが僕を駆り立てました。
教職を辞して学校以外の育ちの場をつくらなければと。
🐈いもねこが始まるまで
2004年、教員の職を辞した僕は
ドリーム・フィールドを立ち上げました。
学校は
「すべての子どもたちにとって理想的な場」
というわけではないことを実感し、
不登校生や発達障がいの特徴を持ったみんなが
伸び伸びと育つ場が必要だと考えたためです。
開校当初7人から始めたスクール生は
一年間で20人以上に増えました。
その一方で
「不登校だから保護者に負担がかかってしまう」
という理不尽な課題にずっと悩んでいました。
その悩みに対し、市役所障害福祉課長さんが答えてくれました。
「福祉事業所にすれば?」と。
福祉の側面から公的支援を受けるべきだということです。
そしてその際
「18歳を超えた子のために就労系の福祉サービスもつくるべき」
という提案も。
それが就労継続支援事業所「雑貨カフェいもねこ」の
始まりだったのです。
🐈なぜ "いもねこ" ?
不登校の子どもたち、発達障がいを持った子どもたちの多くは
とても繊細な心を持っています。
そのため、成長して働くことができるようになっても、
少しのきっかけでも傷つき自信を失い、
就労への気持ちが萎えてしまい、
再び引きこもることにもなりかねません。
そうならないためにも、優しく温かな雰囲気の職場にしたい。
そこで、女性や子どもたちを中心とした
心優しいみなさんにかわいがっていただけるよう、
キーワードを「お芋」と「猫ちゃん」としたのです。
「お芋」も「猫ちゃん」も、は女性や子どもたちが大好きなもの。
お店の名前はそのまんま「いもねこ」としました。
ちょっと間の抜けた響きですから、”いかつい”おっちゃんは
「いもねこに行こうぜ!」なんて言わないでしょう。
優しくのんびりとした空気感を願っての
ネーミングだったのです。
🐈”トムリン” ありがとう
「猫ちゃん」にこだわったもう一つの理由があります。
それは
ドリーム・フィールド開校の頃にスタッフが保護してから12年
みんなとスクールで過ごした“トムリン”がいたからです。
学校に通うことに傷つき疲れ果て、
スクールにたどり着いたみんなの心を
彼はいつも癒し包み込んでくれました。
彼の存在に励まされ生きる力を取り戻した子たちが
どれほどいたことでしょう。
スタッフにとっても同じです。
彼は、子どもたちにとって大切な「友達」であり、
スタッフにとっては「同志」であり、
それ以上の存在でもありました。
彼は生涯、
怒ったり威嚇したりすることが一度もない優しい子でした。
不安の強い子にもそっと寄り添ってくれました。
きっとみんなの悩みや苦しみなど
負の力を吸い取る力を持っていたのでしょう。
いもねこの目指す空気感は
トムリンのイメージそのものでしたし、
実施に彼は、
隔週で雑貨カフェいもねこの看板ねこにもなってくれました。
“トムリン“は
「ペット」とか「猫」とかいうカテゴリーには
当てはめられない、ひとつの大切ないのちでした。
彼は2016年、天国に旅立ってしまいました。
🐈いのちは
つながってゆく物語
かけがえのないいのちとの別れは、
誰のもとにもやってきます。
でも、生きるということは
「いのちの物語」を綴ること。
誰もがいのちの物語の作者であり、
誰もがいのちの物語の読者。 いのちの灯を燃やしながら、
周りのいのちから学んで生きてゆく。
ドリーム・フィールドもいもねこも、
大切ないのちとの出会いと別れ
たくさんの皆さんとの出会いと支えがあり、
それぞれのいのちがつながったからこそ
今があるのです。
いのちはいつか尽きるけれど、
いのちが綴った物語は私たちの心につながっています。
そして私たちの物語もまた、
周りの人々の心につながってゆきます。
愛は愛として、想いは想いとして。
だから、生きることは素晴らしい。
そう信じます。
そして“いもねこ“の存在が
“いもねこ“の想いもまた
皆さんの心へとつながってゆくことを願っています